セブ島のゴミ山へ  #ゴミ山潜入ルポ1

 

ゴミ山との出会いは私がまだ小学四年生か、五年生の時だったか。よく覚えてはいないが、その時、私は家族と温かい食事を囲んでいた。目の前の食事に夢中になり、世話しなく口を動かしている私は、ふと見た無機質なブラウン管テレビに写る光景に目を奪われた。

テレビが幼い私に世界を見せた。口が止まった。箸を持ったまま、画面に釘付けになった。画面の向こうでは、私と同じくらいの年齢の少女がゴミを一生懸命に拾っていた。細い手足で集めた、自分とほぼ同じ重さのゴミを袋に入れ、換金所に引きずるようにして持っていく。彼女はそこで得た非常に少ない収入で家族を支えているという。

「なんでこの子はゴミを拾っているんだろう。」

「なんで僕はここでご飯を食べているのに、あの子はゴミだらけの汚いところで、ご飯を食べているんだろう。」

「世界にはこういう生き方をしている人がたくさんいるのかな。僕には知らないことがたくさんある。」

当時、このテレビ番組を見て感じたことが、今の私を突き動かしている。

何も知らずに生きるって怖い。

当時抱いたこの感情が、やがて世界に関心を抱くきっかけとなった。なってしまった

二〇一七年三月上旬、フィリピン・セブ島に向かった。そして、幼い頃の私の価値観に、大きな衝撃を与えたゴミ山が、確かにそこに存在していた。

 

二〇一七年六月

 

 

『ゴミ山という名の世界』    

 

第一章『一本道』

その屈託のない笑顔に、私が十数年間抱いていた先入観は、一瞬で崩れていった。

私はゴミ山へ向かって歩いている。行き交う人で賑わう一本道で私は、少し速足で歩いている。

カルボンマーケットと呼ばれる外国人があまり訪れないであろう非常にローカルな生鮮市場から、四十分ほどジプニーに(現地の人が使う乗り合いバスのこと。)揺られ、私はここ、フィリピンはセブ島のイナヤワンにあるゴミ山へと向かった。

カルボンマーケットには、粗末な屋台にニンジンやキャベツ、ジャガイモなどの野菜だけでなく、魚が屋台の上で雑然と陳列されている生鮮市場である。平日は行き交う人で前が見えないほど混雑しており、私のような外国人には、決して安全とは言えない場所である。学校の時間なのにも関わらず、路地で遊んでいる子どもたちが多い。もちろん、制服姿の子も少なからずいる。ここには社会的階級が何の壁も無しに混ざっている。そんなカルボンマーケットのすぐ隣にはサンホセ大学がある。学生が多く歩く道の反対にはカルボンマーケットがあるわけだから、嫌でも社会格差の矛盾を感じざるを得ない。

歩いている時にすれ違う人と目が合ったらすぐに、誰かれ構わず笑顔で挨拶をする。もちろん現地の言葉を使う。「マーヨンハポン。」多少ひきつった笑顔でもなんでも良いからすれ違う人に挨拶をする。これは、外国人である私に彼らが警戒心を持たないようにするためである。そんな私の杞憂をよそに、彼らはにこやかに挨拶を返してくれる。一人で歩いているため、何かあったら助けなんて来ない。恐怖心と好奇心の狭間でビクビクしている心を落ち着かせるように、口から言葉を吐き出していく。

 

「アニョハセヨ。」と、現地の人に声をかけられた。思わず、「こんにちは。」とあえて日本語で返した。すると、「こんにちは。」と、片言でちぐはぐな発音の日本語が帰ってくる。不思議と懐かしい気持ちになる。向こうからしたら、最近、セブ島を訪れる多くの韓国人と、日本人である私の違いなんて見分けがつかないのだろう。何回かこうしたやりとりはあったが、その度に私は、無性に日本人であることを意識した。意識したがった私がいた。日本での生活では、あまり意識することのない感情が心の奥底から湧き出てくるのを感じる。

ここセブ島では、肌の色、顔立ち、目の色、背丈、髪の色など、外見的特徴で周りの人たちと大差ない容姿をしていると思い、根拠ない安堵をしていたが、彼らにとって私は異人あり、また、何者でもないのである。島国である日本で長いこと生活をしていると気づかない感情と共に、今、私は間違いなくマイノリティとして、この国で息をしている。

ジプニーを降り、ゴミ山方面に向かって一本道を歩く。歩いて行くにつれて、景色と人びとの雰囲気が変化していく。歩いて五分ほどしたところで、道に面した鉄の門の隙間から、廃金属のスクラップ場が多く見られるようになってきた。金属同士がぶつかる音が聞こえ、私の横を高さ二メートル、横五メートルほどの大きさのダンプカーが砂埃を舞い上がらせながら通り過ぎていく。思わず口を手で覆う。咳きこむ。荷台に積んでいるものは、今にもはち切れそうなくらいに膨らんだ無数のゴミ袋。よく見ると、その小さなゴミの山に数人の大人が乗っている。絶え間なく私の横を通り過ぎるダンプカーを目で追う。ゴミ山に向かうダンプカーの荷台に乗っている人の中に子どもがいることに気付く。大人だけでなく、子どもがゴミ山に向かっている証拠だった。

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