ゴミ山を取材して。あとがき。〜私が本当に伝えたいこと。〜 #ゴミ山潜入ルポ9 完結

ゴミ山を取材したのは、三日間だけだったが、とても濃い三日間を過ごしたと思っている。テレビのドキュメンタリー番組を、あの時、あの瞬間に見てから、瞼の裏に焼き付き離れなかった光景が確かにそこにあった。場所は違うが、確かに存在していることが、ただただ悲しく、虚しい気持ちに私をさせた。

▶︎一本道の途中にて。

 

 

この取材での一番の気づき。それは、先入観の恐ろしさだった。

普段目にしているニュース、読む本、聞く話、そのすべてが私の中で先入観、固定観念となり、思考を固くさせる。

そうなると、物事を狭く見がちになる。自分がなんでも知っているかのようになってしまう。

そこに自分の思考や感情は消え、独自の観点や多面的な理解が欠落してしまう。

これは本当に怖いことだ。そして、非常に傲慢で、浅はかで、これもまた虚しい。

月並みだが、やはり現地に実際に行ってみて、初めて分かるものがあることを思い知らされた。

 

 

私には夢がある。それはフリーのジャーナリストになること。世界でのあちこちで生きている人にめぐりあいたい。この取材でもう一つ気付いたこと。それは、「何があっても、目の前の事象を記録し続けること」だ。取材の中で一番辛かったことは、ゴミ山の一本道にて、目の前で女の子が裸足でゴミの上に立ちながら、何かを食べている光景だった。

日本であったら絶対にこの衛生環境の中で、手も洗わず、食事をすることはありえない。ましてや、すぐそばで野犬がうろつき、糞をし、ドブにまみれた道の真ん中で。私にできることはなかった。私にできることは、ただ記録することだけ。そして、現実を伝えることだけ。当事者にはなれない。傍観者である。私は、この傍観者でいることの覚悟のようなものを、その時、確かに感じた。

そこで生きる人たちを伝えることで、何かのきっかけを生み出すことができたらと切に願いながらこの本を執筆した。

彼らの存在がこのまま誰にも知られずにいることはとても辛い。

私たち日本人と彼らの生活環境は大きく異なる。たまたま生まれた環境の違いで、人間としての教育を受ける権利であったり、基本的人権であったり、そういうものが蔑ろにされている現実は、あまりに凄惨ではないのだろうか。私たちはこれを知らずに生きていることに恐怖するべきではないのか。

 

 

 

▶︎花とゴミ山。ゴミ山のすぐそばに美しい自然がある。

 

 

こうして私は悲しいことに、小学生から抱いていたゴミ山を訪れるという夢を叶えたのである。

叶えてしまったのである。

自分が海外に興味を持ち、国際協力や貧困などの分野に関心を持つきっかけとなったゴミ山。

三日間の密着取材を通して、そこで生きる人びとの営みを確かに目撃した。

最後に、一つだけお伝えしたいことがある。

 

この本は私が感じた表現が非常に多く含まれている。故に、ほとんどが主観であり、これもまた読者のみなさんに先入観を作ってしまうことになると思う。

 

だから、この本を読んで終わりではなく、ぜひ自分で調べてみて欲しい。現代は情報や思想があまりにたくさんあり、簡単に飲まれる。苦労するとは思うが、ぜひ考え続けて欲しい。考え続けることをやめなければ、きっとまた新しい可能性を生むことになると、私は信じている。そうして、読者の方にとって何かのきっかけとなれば、これ以上の幸せはない。

 

 

読んでくれて、本当にありがとう。

 

二〇一七月六月

原田口 昂弘

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