ゴミ山と子どもたち #ゴミ山潜入ルポ7

 

しばらく進むと木陰に座り込んでいる二人の子どもたちと目が合った。何をしているのかと英語で聞くと、返事が返ってこない。

無言で屈託のない笑顔だけが返ってくる。とにかく笑顔と身振り手振りでコミュニケーションを図る。彼らはビニール袋で凧を作っているのだった。

 

▶︎廃材で凧を作る子どもたち。

 

 

今にもちぎれそうな細いたこ糸でつながれた凧を、引っ張りながら走り出す。童心に帰り、一緒にはしゃいだ。

 

何が地面に落ちているのか分からないような草むらに、素足で飛び込む彼らにひやひやさせられる。

しかし、凧を手繰り寄せる姿は非常にたくましい。一通り、はしゃぐと私のもとに集まって来た。笑顔で何か言い始めた。

 

 

最初は何を言っているのか理解できなかったが、手を広げ、こちらに伸ばしてくる。

どこかで見たことのある仕草だ。お金が欲しいのだと察した。

 

 

さっきまでと何ら変わらない雰囲気でそう話しかけてくる。

 

彼らの輝いている目を見ると、胸が締め付けられるような感覚になる。あの時の罪悪感やうしろめたさの欠片もない彼らの笑顔を見て、私はいったいどんな顔をしていたのだろうか。

 

どんな顔をして彼らの目を見ればよかったのだろうか。

 

結局、一ペソもあげずに立ち去ることにした。だんだんと小さくなっていく彼らは、ただ無邪気に手を振っていた。

 

バスケットゴールを見つけるとバスケをしている十代の少年たちと遭遇した。挨拶をすると、ボールを渡してきた。

スリーポイントシュートをするが、入らずエアーボール。何度もシュートを打つが入らないので、笑いながらごまかした。

彼らも笑ってくれ、打ち解けた雰囲気になった。

 

 

学校には通っているかと尋ねてみたが、返事がない。答えたくないのか、英語が理解できないのか。しかしこの時点で大

体のことは分かる。私の問いに対して、ただ笑顔で返してくる。この時間帯は学校がある時間だ。私の質問は愚問であっ

た。そもそも、学校に行っているのならこんなところで、バスケをしているはずがないのだ。

 

ゴミ山の隣にある草原地帯を歩き、川の側の雑木林に来た。

 

薄い鉄板の屋根が立ち並び、小さな集合住宅のような場所を進んでいく。奥まで行くと、豚の鳴き声が聞こえてきた。

 

▶︎現地の人が住んでいる家。

ドアも壁もなく、ただ屋根が木材に乗っかっているような家から、上半身裸の男性がこちらを不思議そうに見ていた。恐る恐る話かけてみると、取材に応じてくれるとのことだった。

お互いが拙い英語と身振り手振りで話すため、妙な親近感を覚える。打ち解けるのに時間はかからなかった。彼は四三歳で子どもがおり、男の子が二人、女の子が二人いるとのこと。みんな学校に通っている。

普段は、家畜である豚や鶏を食べたりして生活をしているそうだ。一九九九年にはゴミ山で働いていたらしい。もともとゴミ山で働くために、移り住んできたようだ。今は、日本の縁日でよく見かける屋台によく似たサリサリストア(現地のコンビニエンストストアのこと)を経営して生計を立てている。

 

閉鎖されたあのゴミ山で実際に働いている人と話すことができ、ゴミ山の歴史に直に触れられた。

 

彼らの当時の生活が脳裏に浮かぶ。先日話した管理者の男性の話が思い出された。

ゴミ山で生きるということは、ゴミ山と生きるということなのだ。負の遺産は、負の遺産だと言い切れないのだ。

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