あの日の記憶と共に町を巡る。私たちが震災を忘れてはいけない理由。

大槌を訪れるのは2回目。

ツアー企画担当のひなたです。

 

今回の大槌町取材、地元の方々にたくさん繋がりました。

 

ひとりの方とお話していると、どんどん人の輪が広がっていくんです。

 

「だったらooさんに会いにいけばいいよ〜」

「連絡してみるけ〜」

 

こんな風に。

 

私はそうして、あったかい人の輪に繋がれながら、たくさんの方とお話ししました。

そして、やっぱり思いました。

 

大槌に生きる人々の生き方は、美しい。

 

 

優しくて、

強くて、

あったかくて、

美しい。

 

 

大槌に生きる人々の想いを、紡ぎたい。

いや、紡がなければならない。

 

再びこの地を訪れてやはりこう思ってしまったので(笑)

私が今回出会った大槌の人々を私の感性のままにお伝えしようと思います。

 

震災語り部ガイドのいくやさん

 

ツアー2日目にお世話になったのが、赤崎いくやさんご夫婦。

大槌町で鍼灸師をやられながら震災の語り部ガイドをされています。

急遽お願いしたのにもかかわらず、わざわざ朝の9時から、私1人を案内してくださいました。ありがたいです。

 

 

あの日の記憶と共に町を巡る

 

まず向かったのが城山。

大槌町役場を上った先にある山です。

あの日、この山に登る坂道を駆け上り、多くの人が避難しました。

山の中腹には震災以降、犠牲者の冥福を祈って灯された「希望の灯り」が静かに揺れています。

 

 

今回は山頂まで連れて行ってもらいました。

心にすぅーっと染みるような新鮮な空気に包まれます。

町のお年寄りは日課で登るというこの山。

毎日登りたくなるのも納得です。

 

 

その頂上からは町を一望できます。

海側には新たに巨大な防波堤がたち、町の方では都会のマンションのような復興住宅や町営のできたばかりのお家が立ち並びます。

震災の時は、写真に映る橋のさらに奥の橋まで波が押し寄せたと言います。

 

津波が襲った後には、町は火の海に包まれました。

 

「煙がすごくてね。男たちは車に人を詰めるだけ詰めて上へあがって、山道を知っていた私は歩ける人をその道へ誘導したんだ」

 

こんなに上まで煙が立ち込めていたのか…

私には想像もつきませんでした。

 

 

山の麓にあったお寺は、火に飲み込まれ、現在も再建中でした。

(お寺の跡地。この右手ではお寺の再建が進む。)

 

 

お寺の工事が進む横にひっそりと置かれていた溶けた鐘が、その悲惨さを物語ります。

 

 

いくやさんは、この時の光景をたった二文字、

「地獄」

そう語りました。

 

 

 

 

「震災を風化させないってよく言うけど、経験した者にとっては一生風化しないね」

 

 

 

 

眉間にしわを寄せながら放たれたその言葉を前に、私は立ち尽くしてしまいました。

 

 

 

避難所生活と別れ

山の中腹には避難所となった体育館があるのですが、いくやさんは2011年の4月末まで約1か月半そこで暮らされていたそう。

 

その時の記憶をを心の奥の引き出しからそっと取り出すかのように、静かに語ってくれました。

 

「800人での共同生活。わめき声や泣き声がそこら中から聞こえてきて寝れたもんじゃなかった。私の場合はとなりのおじいちゃんのいびきがすごくて。でも、みんなお互い様で文句は言えないから。大人たちは駐車場にある車に『スナック』って段ボールで書いて、そこに集って、支援物資の中にあるお酒を飲みかわしてから寝ていたりしたね」

 

いくやさんの話の中でも特に私の心に残ったのがこの言葉。

 

 

 

「何回お別れしたんだかね~」

 

 

 

 

山を下り、町中を運転している時に不意に流れ出てきたこの言葉。

震災直後、800人いた避難所は、いくやさんが出るころには300人になっていたと言います。

 

「みんな、『どこに当たったの?』って会話をするんだ。仮設住宅に入れるかどうかは抽選で『当たった』って言葉を使うんだよね。お互い様だから『おめでとう』って言って送り合うんだけど、やっぱり寂しかったよね…

 

この町の人たちは、どれほどの別れと、悲しみを乗り越えて7年間歩んできたんだろう。。。

ふとそんなことを思うと、自分がちっぽけすぎて胸が締め付けられました。

 

 

 

最後に

 

最後には、いくやさんの自宅に招いて頂きました。

昨年の9月に自立再建をして引越してきたばかりだというお宅。

木のいい匂いに包まれて、奥さんが温かく迎えてくれました。

 

お裁縫がお得意だといい、こんなに小さなサルぼぼをひと針ひと針丁寧に縫われていました。仮設住宅に暮らしていた頃は、ご近所さんと集まり、支援物資の下着や切れ端などを使い、ひな人形を作っていたそうです。

 

「今年の3月には今まで作った作品を並べ、仮設にいたころの仲間を自宅に招いて、みんなでひな祭りを祝ったんだよ~」

と楽しそうに話してくれました。

 

 

 

最後に、いくやさんに率直な疑問をぶつけてみました。

 

 

「なんで震災の語り部ガイドをやられているんですか」

 

それはね、大変な経験をしたからだよ。私は最年長ガイドなんだけど、語り部のガイドが募集される時に真っ先に手を挙げた。うしろを振り返っても何も返ってこない。残った命が大事なんだ。どう生きるか、どういう風にいきるかなんだよ。自分でできる範囲で支援してくれる人たちに恩返しをしないとね」

 

 

「若者に伝えたいことはなんですか」

 

”夢は大きく、実現は小さく”

逆を言う人もいうけど、やっぱり夢は大きく持たなくちゃだめ。それを実現するための努力を積み重ねていくことが大事なんだよ。それが身の回りの小さいところから実現していけばいいじゃないか」

 

 

 

当たり前に気がつく時。

 

 

 

震災を経験したものにとっては震災は一生風化しないーーー。

 

 

 

 

そんな当たり前のことに、私はまた気づかされました。

そう。風化なんてしないんだよね。

 

 

だからこそ震災を経験していない私たちは、彼らの想いを忘れてしまってはいけない。

苦しい過去であろうとも、知らなければならない。

 

 

生かされている命に感謝して、私はこの記事を綴ります。

 

 

(文/ひなた)

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