どうも!大槌プロジェクトのメンバーの勝俣早紀です!
今回は震災語り部の赤崎いくやさんに、団体としては2度目のガイドをお願いしました。
(前回の記事はこちら↓)
私は、いくやさんに津波が来るときの緊迫した状況について語っていただきました。
「小学校時代の経験」

大地震が来た直後、いくやさんは津波が来るすぐにそう考えました。
それはいくやさんが小学生のとき経験したチリ地震の経験によるものだそうです。遠く離れたチリでの地震でしたが、日本の太平洋沿岸部では異様な光景が見られました。
潮がどんどんどんどん引いていく光景です。
それをなんと小学生だったいくやさんはわざわざ覗きにいったそうです。(※いけないですよ、そんなことしたら。)そしてだんだん、だんだん波が大きくなりながら町に向かってくることに気が付き、急いで海から離れて高いところに逃げたそうです。
幸い津波は床上浸水にとどまり、死傷者はいなかったと言います。
「1メートルでもいいから…」

大地震が起こったとき、いくやさんはそのときのことが瞬時に頭をよぎりました。
だから、急いで避難所に指定されている場所へと町の人々を誘導しました。特にいくやさんは体が不自由な方々の誘導に努めたそうです。
時間がかかりました。やっと避難所に着いたときにはみなさんへとへとでした。でもいくやさんはここにも津波が来る恐れがあると予測し、山のふもとだった避難所から出て、
「1メートルでもいいから山を登ろう」
とみなさんに勧めました。

しかし、みなさんほとんどの人がその場に留まろうとしました。また、多くの町民は大地震から来る津波を軽く考えていました。なぜなら大槌町は過去に何度か地震に伴う津波を経験したことがあったからです。
しかし不運にも東日本大震災のときの津波はそれらを大きく上回る大津波でした。
高齢の町民の多くは
「あのときはここまで来なかったから今回も大丈夫だろう」
と言って動こうとしませんでした。結果的にそこでの別れが一生の別れとなってしまいました。
生死の分かれ目
「今回も大丈夫だろう」という油断が招いた死。
自分に危機が迫っているとき、意外とそれに自分自身が気付けていないということは誰にでもあると思います。それに気づけるかどうかが自分の生死を決める。そう考えます。
異変が起きたときに危機感を持つことが大事なのだと改めて気づけた今日でした。
(文/さき)