今日だけは、立ち止まっていたい。~大槌町に関わり1年、私が思うこと~

 

ーーー今日だけは、立ち止まっていたい。ーーー

 

 

3.11

 

 

震災から8年が経ちました。

あなたは今、誰と過ごしていますか。

大切な人は、そばにいますか。

 

 

 

今朝から、なんだか少し心の奥がそわそわしています。

SNSで流れる投稿。綴られるそれぞれの想い。

 

 

 

それらに触れては、胸がいっぱいになります。

あの人やこの人を思いだす。

何でかよくわからないけど、心がぎゅっとして、いろんな感情が渦巻く。

 

 

 

私は、震災被害にあった町、岩手県大槌町に関わり始めて、ちょうど1年になります。

去年の私はきらっとすがすがしく晴れた大槌町の空の下にいました。

あの日、小学生だったわたしが被災地で祈る。未来へ繋ぐ想い。

 

 

あの日の祈りと、今日の祈り。

 

 

自分の中で違うものになっていることに気がつきます。

 

 

 

大槌町という町。

そこに生きている人々。

 

 

私自身、大切なものが、沢山増えました。

この1年で、「復興」という言葉と共に、未来を掴もうとしている人たちに沢山出会ってきました。

今まで知らなかった人の想いに触れ、いろんな現実を知り、かけがえのない今があることを実感できるようになりました。

 

 

 

私は、直接被災はしていない。

大切な人を失ったということもない。

 

 

だから、私が大切に想う人たちのこの日への想いと、私の気持ちなんて、全然重さが違うんだろうななんて思ったりもします。

でも、私にとって大切な人の特別な日は私にとってもやっぱり特別で。

 

 

私は去年から1年、「復興」にちゃんと向き合えてきたのだろうか。

 

 

 

よくも悪くも、私は「復興」ということをあまり意識していません。

私がみている大槌町は、「被災地」としてではないから。

 

 

ただ、あの町で出会う人、空気、新しく重ねられる思い出。

そんなもの全てが愛おしくて大切だから、大槌に関わっている。

 

 

でも、その町には震災という未だ癒えぬ生暖かい大きな傷があって。

「復興」というものが続いている。

 

 

私たちは、物事を一生懸命正当化しようとします。

傷を治すために、必死に未来を見ようとします。

 

 

あの日失われた命を無駄にしていないよって伝えるために、人々は「復興」への歩みを止めない。

 

 

8年前と比べて、確かに復興は進んでいる。大槌では今まで不通だった鉄道が通る。

なくなった家たちがだんだんと建ち始めている。

 

 

 

すごいよね。

すごい。

 

 

本当に、すごい。

 

 

 

人が未来を見る力、前に進む力。

 

 

 

そういうものに、この一年、すごく勇気づけられてきた。

生きるってすごいなって思わされてきた。

 

 

だから、私も前へ進もうって思えてきた。

 

 

 

だけどさ、今日だけは立ち止まりませんか。

 

 

 

今日だけは、丁寧に、あの日の事に想いを馳せていたい。

 

 

 

 

 

 

たくさんの輝かしい命が生きていたこと。

それが失われた事実があったこと。

たくさんの悲しみと苦しみと怒りと絶望と、言葉にならない感情があったこと。

 

 

 

 

 

 

それらに、私はちゃんと祈りを捧げたい。

むりにとりつくろわずに、未来を見すぎようとせずに、今日だけは、ちゃんと想って、ちゃんと受け止めたい。

 

 

 

 

誰かが言ってた。

 

「3月11日以外は、もうあんまり被災地には目を向けてくれないんだ。」   と。

 

 

 

誰かが言ってた。

 

「3月11日だけでも、1年に1度だけでも、思い出してくれることがありがたい。」   と。

 

 

 

 

どっちが正しいなんてない。

100人いれば、100人違う意見ある。

 

 

 

だけど、私は、今日はちゃんと立ち止まりたい。

祈りを捧げる日にしたい。どうしたら祈るっていうことになるのか分からないけど。

祈りに何の意味があるか分からないけど。

大切な人たちをもっと大切に思う日にしたい。

 

 

 

8年目の今日。

全ての命に感謝して。

 

 

2019.3.11

(文/ひなた)

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